天竜川上流砂利採取販売協同組合 本文へジャンプ
沿革


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   当地区では天竜川の良質な骨材資源に恵まれ、大正時代より諸々のかたちで砂利採取が行われてきた。特に昭和36年の三六災害の膨大な砂利需要に対し、多くの業者がこれに対応し大きく発展した。又、日本経済の高度成長による建設業の飛躍的発展が、砂利業界に活況をもたらした。昭和39年、河川管理制度を抜本的に見直した新河川法が制定され、その施行を目の前にして、当時の建設省天竜川上流工事事務所の強いご指導により、河川行政を円滑に進めることと、砂利業界の近代的発展を図り専業者が協調・団結することを目標とした、業界団体設立の動きがスタートした。
 このことから同事務所の指導を得て、昭和40年下伊那地区の業者により飯伊砂利採取販売協同組合が設立された。上伊那地区では、上伊那砂利組合が設立されたが、その後、上伊那地区の業界再編により、昭和42年に天竜川上流砂利採取販売協同組合が設立された。両組合は相携え天竜川上流部会を結成し、日本砂利協会(東海支部)に加入した。砂利業界の先進地である同支部の良い影響も受け、活発な活動を展開してきた。
 昭和49年の河川局長通達を受け、昭和53年4月以降の天竜川本川での全面採取禁止との規制計画が示された。この重大局面に立って、将来のためにも抜本的対策が必要として、建設省・長野県の指導を仰ぎ飯伊砂利採取販売協同組合。天竜川上流砂利採取販売協同組合と組合未加入の全業者を集結した、上下伊那を統括する組織の設立を決議した。
 昭和51年、骨材資源の開発と原石確保・供給を目的とし、認可申請並びに採取業務の一切を統轄運営する機関として南信砂利資源開発協同組合が設立されている。